私結構なお年なんですが、未だに価値観がアップデートされるというか、色々知っていく中でスタンスが変わったり意見が変わったりと、「変わらない」という事がない状況で来ているんですが、これって結構重要な事だと思っていて、年を取れば取るほど価値観は固定化されていって「認識の緩み」の許容幅が狭くなっていく(年を取るほど頑固になる)のですが、自分は世の中をすべて知っている訳ではないという認識と、自分の思っている事は世界全体が思っている事ではない、という認識は強く意識しないと「今まで生きてこれている」生存バイアスによって自分が正しく見えるのでかなりの注意が必要なのです。
今自分が思っている事は長い人生の中で一番新しいアップデートなので、今までの人生の中では最も正しい可能性が高い考え方かも知れませんが、それは貴方にとってそうであるだけで、世間一般から見て正当な考え方であるかは別問題で、貴方が貴方にとって最も正しい選択をしたとしても、貴方の選択肢の中にそもそも正解が入っていなかった可能性、正解は入っていたが小さすぎて目に入らなかった可能性が常にあるのです。
そして世の中に新しい概念が作られるごとに私達の認識は正解から一歩遠ざかっている可能性があって、新しい概念が今までの概念を塗り替える可能性が常にあるのです。額に汗して働くのが正しい、機械に任せるなんてありえない、という常識が今や塗り替えられているのを見ればわかるように、それまでの考えとそれからの考えを「分かつ」新概念が登場する事があり、しかもそれは私達が思っているよりも頻繁に起こっているのです。
そうなると対応する方法は一個だけなんですよ。自分の価値観をアップデートするしかないんです。今までの考え方は今までの考え方、それはそれで今までは正しかったけど「今」からは正しいとは言い切れない可能性がある、という事を意識して、そして新しい概念を「新しいから」という理由だけで遠ざけないでちゃんと取り込んでいく事なんですよ。
そういう意味で新しい概念を追いかけてばっかりというのも腰が軽いというか節操がなく見えるものかも知れませんが、「正しさ」を担保したいのであれば「正しい」は相対観念なので周囲を見回す必要が常にあり、そして周囲をちゃんと見られているかは概念の咀嚼がどれだけ上手く行っているかで表せるので、「正しく」あるためには新しい概念を得て価値観のアップデートをする必要があるのです。
これを定期的にできないと老化というか老害化の第一歩(というか中期)なので、自分が瞬間的に何かを否定しようとした時に、「それは『今』否定されるものなのか?」という部分はちゃんと考えないと駄目ですよね。
という訳で「まあそれもアリだよね」と言えているうちが華なのでできるだけ柔軟に生きていきたいなー、と思いますです。
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如月翔也
ガジェットとAppleとTRPGが大好きな中年男です。文章をとにかく書くのが好きなので毎日のように色々なブログで文章を打ちまくっています。もし何か心に引っかかるものがあれば私のTwitterをフォローして頂けると更新情報が流れます。