月: <span>2019年9月</span>

価値観のアップデートは定期的に必要なので

 私結構なお年なんですが、未だに価値観がアップデートされるというか、色々知っていく中でスタンスが変わったり意見が変わったりと、「変わらない」という事がない状況で来ているんですが、これって結構重要な事だと思っていて、年を取れば取るほど価値観は固定化されていって「認識の緩み」の許容幅が狭くなっていく(年を取るほど頑固になる)のですが、自分は世の中をすべて知っている訳ではないという認識と、自分の思っている事は世界全体が思っている事ではない、という認識は強く意識しないと「今まで生きてこれている」生存バイアスによって自分が正しく見えるのでかなりの注意が必要なのです。

 今自分が思っている事は長い人生の中で一番新しいアップデートなので、今までの人生の中では最も正しい可能性が高い考え方かも知れませんが、それは貴方にとってそうであるだけで、世間一般から見て正当な考え方であるかは別問題で、貴方が貴方にとって最も正しい選択をしたとしても、貴方の選択肢の中にそもそも正解が入っていなかった可能性、正解は入っていたが小さすぎて目に入らなかった可能性が常にあるのです。

 そして世の中に新しい概念が作られるごとに私達の認識は正解から一歩遠ざかっている可能性があって、新しい概念が今までの概念を塗り替える可能性が常にあるのです。額に汗して働くのが正しい、機械に任せるなんてありえない、という常識が今や塗り替えられているのを見ればわかるように、それまでの考えとそれからの考えを「分かつ」新概念が登場する事があり、しかもそれは私達が思っているよりも頻繁に起こっているのです。

 そうなると対応する方法は一個だけなんですよ。自分の価値観をアップデートするしかないんです。今までの考え方は今までの考え方、それはそれで今までは正しかったけど「今」からは正しいとは言い切れない可能性がある、という事を意識して、そして新しい概念を「新しいから」という理由だけで遠ざけないでちゃんと取り込んでいく事なんですよ。

 そういう意味で新しい概念を追いかけてばっかりというのも腰が軽いというか節操がなく見えるものかも知れませんが、「正しさ」を担保したいのであれば「正しい」は相対観念なので周囲を見回す必要が常にあり、そして周囲をちゃんと見られているかは概念の咀嚼がどれだけ上手く行っているかで表せるので、「正しく」あるためには新しい概念を得て価値観のアップデートをする必要があるのです。

 これを定期的にできないと老化というか老害化の第一歩(というか中期)なので、自分が瞬間的に何かを否定しようとした時に、「それは『今』否定されるものなのか?」という部分はちゃんと考えないと駄目ですよね。

 という訳で「まあそれもアリだよね」と言えているうちが華なのでできるだけ柔軟に生きていきたいなー、と思いますです。


自分をキックする文章を書かなければならない程度には追い詰められているのだよ

 まあタイトルが全てを物語っているんですが、自分で自分をキックする文章を書かなければならない程度には追い詰められています。
 基本的に変化のない毎日を送りその中から何かを切り出して表に並べる(ブログに書く・Tweetする)作業をしているのですが、そういう生活の中でも何らかの変化が必ずあり、その変化についていけなくてパニックになりオロオロするのです。そんな馬鹿はケツを蹴っ飛ばしてやれ、って話なんですが自分の事なので自分の尻には足が届かないので文章でキックするのです。

 10年前に致命的に世界と断絶してからは無気力・常に充電モードの状態で過ごしてきているんですが、流石に10年充電していると充電量もそれなりに貯まってきて今「動く」モードなんですが、自分で動くと空気を掻き分けないといけない負荷がかかるのでキャパをオーバーするのです。そんなんでオーバーするなよって話なんですがオーバーするのは事実なので仕方がないんですが、キャパがオーバーすると人に迷惑がかかるので大変よろしくなく、できるだけキャパオーバーを避けるように動こうとすると息をするだけで負担がかかる精神構造なのでおおよそ精神的に遊びがなく、遊びがないという事は常に限界ギリギリなので1インシデントで全部トぶのです。
 その状態を良しとはしないんですが負荷をかけないといつまでたってもリブートしないので徐々に負荷をかけつつ復帰、という動線で行きたいんですが、こと人と関わる関係がある以上期待する・期待される物事があるので、それもまた精神構造の脆さに由来する遊びのなさに繋がって復帰を阻止するんですよね。

 まあ概ね一回壊れたものは修理するより新しく注文した方が早い、って話なんですが自分の心を交換する事ができない以上屋上ダイヴして人生を交換にワンチャンって話なんですが試して駄目だったら(しかも中途半端に駄目だったら!)目も当てられないので、今の製品は応急処置をしながらリブートをかけるしかないと思うんですが充電に10年かかってるのにリブートには何年かかるんだよ、っていうお話なのでもうすでにこの文章を書いている時点で飽き飽きするほど未来がないのです。

 しかし、キックしないと再起動はしないし、起動しないままに一生を終える事もできないので(それが出来るタイプの人ならブログやTwitterは10年続かない)、定期的に自分をキックしないと駄目なのです。

 苦しいとか言っている場合ではないのです。羊水から出たら自己呼吸しないと死ぬのは道理なので、「壊れた」状態の羊水から出ると決めた以上自分の心肺蘇生をしながらでも動いていかないと駄目なのです。

 とりあえず自分をキックしつつ頑張る事を頑張ります。


漫喫で読んで満足するだけでは駄目なのだ

 ここ1週間で2回ほど子供を連れて漫喫に行ってシリーズ物を16巻と12巻読んで満足して帰ってきたんですが、漫喫で読んで満足するだけでは駄目なのです。新刊なり電子書籍なりを買わないと「本当にその作品にハマった」とは言わないのです。

 子供のお財布には限界があるので漫画が読みたい、お金がない、パパに漫喫連れて行って貰ってただで読もう、というムシのいい話は良いんですが、パパ本体は漫喫で漫画を読んで楽しかった、良かったねという話ではなく、お前は一定数の所得があるんだから新刊の買い支えをしろ、という話で、今回読んだ本はどっちも気に入ったので半年スパンで買って行こうと思うんですが、まあアレですよね、可処分所得をどこに費やすのか、っていう話で、私は作家さんを支えるつもりで新刊を買うのが良いと思っているのです。

 そもそもアニメを「YouTubeで見ました、大ファンです!」って話はないですし、音楽を「違法ダウンロードしてます、大ファンです!」って話はないので、漫喫で読むのが本質的には違法ではないとしても、やっぱり「大ファンです!」って言うならその作品くらい持っておけよ、って話だと思うんですよね。
 買って手元に置いておけばいつでも読み返せるというのは非常に大きなポイントで、「あれ、伏線ってあったっけ?」と思った時に1巻から読み返せるのは素晴らしいメリットだと思うんですよ。
 持っている事でメリットがあって、それで作者さんを応援できるなら許せる金額で購入すべきで、まあ中古本で揃えても作者さんは儲からないので新刊か安売りの電子書籍で買うのがいいと思うんですね。買わないのが悪だとは言いませんが、好きなら応援した方が良いので、まあ新刊を買うほどの価値を見いだせないんなら仕方がないんですが、新刊を買う人が市場を支えているのは間違いない部分だと思うのです。

 まあたかが漫画という話ではあるんですが、漫画の本質は創作で、そして創作はパトロンがいないと羽ばたけないので、漫画一冊から始める創作のパトロン、というのは悪くない筋だと思うんですよね。

 個人的にはそういうスタンスなので、漫画喫茶で色々な作品に出会いつつ買い支えていくのができればなー、と思います。本当に理想的なのはジャケ買いなんかでざーっと買っていってその中で好きなものができる、というのなんですけども、そこまでする可処分所得は私にはないので、出会いだけ漫喫を使わせて貰えればいいな、と思います。


補正を加味しても良い買い物だった>Google Pixel3

 テクノロジーブログで書けっていう話なんですが、テクノロジーブログでは手垢がつくくらい書いたネタなのでこっちで。
 結論から言うと「買ったから良く見える」補正を加味して考えても、今回買った21500円のGoogle Pixel3は良い買い物だった、というお話です。オンラインショップは品切れですがDoCoMoショップに電話してみたらまだ在庫あるかも知れませんよ?

 DoCoMoさんが9月30日までの限定でGoogle Pixel3とGoogle Pixel3 XLを大幅値下げと言うか21500円以内というぶっちゃけ投げ売りしているんですけども、この製品、投げ売りはされていますが非常に価値の高い品物です。ちょっと調べて貰うとわかると思うんですが、去年のハイエンドスマホです。大体iPhoneでいうとXからXSくらいの性能があると考えて良く、私が今持っているiPhoneがXなのですが性能だけで言うと「iPhoneには勝らないが劣らない程度には性能が高い」と思うくらいの性能です。今iPhone Xの値段がどれくらいかを考えると、同等の製品が21500円以下で買えるというのは凄いと言うか、人生でも滅多に無い好条件なのです。ぶっちゃけテクノロジーに興味がある人は2万くらい捻り出して全員買え、というくらいの条件です。

 カタログスペックで言うとCPUは最新ではない、メモリも4GB、カメラもシングル、ストレージも多くなくSDカードがさせないので拡張もできないという「あまり良くない」製品に見えるんですが、OSが極まっています。Googleの製品なのでまっさらなAndroidが乗っていまして、Android Pie(9)が乗っているのですが、ヌルサクです。正直使っていてCPUの上限・メモリの制限を感じる事はありません。
 使う条件としてはYouTube・Feedly・ポケモンGO・アズールレーンくらいの中程度の負荷しかかけていないんですが、その負荷レベルでは製品の性能上限を感じる事はありません。
 ストレージもPixel3なら64GBしかないんですが、Googleフォトの品質無制限バージョンが2年間ついてくるので写真・動画のデータは実質外出しできるので、この環境で喰うのは音楽か動画保存程度ですし、それらは代替手段があるのでストレージの不足はそんなに深刻な問題ではない感じです。

 それよりもGoogleのサービスがそのまま使えるという部分が大きく、カメラにしてもGoogleのAIの粋を集めた補正がかかる、正直ダブルレンズのカメラなんかよりもよほど思った写真を撮ってくれるわけですし、写真で撮ったものが何かを教えてくれるレンズ機能、今周囲でかかっている音楽が誰の何かを教えてくれる機能、本体を強く握ってアシスタントを起動する機能、それらが全部シームレスに連携するのです。Googleサービスを十分堪能したい人ならGoogle Pixel3は大きな強い選択肢なのです。

 まあそうは言ってもiPhoneの方がいいんでしょ?という話なんですが、正直な話iPhoneは新しい文化を作り出すリーダー、Androidは普及帯に務める戦闘員という立場だと思っているので、どうしても最新の機能・最新の性能を高くてもいいから最速で体験したい、という人ならiPhone 11 Pro Maxをどうぞ、という話だと思うんですが、実際に使う道具としてのレベルで言うならばコスパは最強レベルです。というか商品単価が安すぎてコスパの計算が馬鹿みたいな結果になるのです。1円あたりの達成性能の値がおかしい、という代物なので、21500円なら即買いでいいでしょう。ぶっちゃけこの機能・性能なら廉価版である(まあ言い方の問題はあるんですが)Pixel3aと同額程度の6万でも十分お釣りが来るレベルだと思います。

 今はiPhoneとの差を感じるためにあえて「iPhoneを使わないでPixel3を使う」という時期なんですが、iPhoneでない事によるデメリットは思ったよりないですし、性能面で見てもそう大きく見劣りはしない(もうちょっとぶっちゃけると「差が感じられない」)レベルなので、これを21500円というのは頭がおかしいと言うか、価値観がぶっ壊れているのです。逆に言えばこのコスパは今しか出せない瞬間火力なので、今欲しい人は今買わないともうチャンスがありません。

 買うなら、今です。
 近所のDoCoMoショップに在庫がないか確認すべきです。

 なお、容量とサイズが大きいXLも21500円以内なので、XLがいい方はできるだけ急いで確認する事をお勧めします。


ゲームは褒めるシステムとして完成しすぎている

 艦これイベントをコツコツ貯めた資材を放出してクリアし、攻略中に出なかった艦娘を掘りで1回・3回で当てて狂喜乱舞している如月翔也です。
 結論から言うと「ゲーム」は人を褒めるシステムとして完成しすぎており逆に中毒になるので困るというお話です。

 私はわりとゲームが好きな方だと思うんですが、ゲームのどこが好きかと言われると、いわゆる「報酬系」が働く部分が大好きなんですよね。なので今回はゲームの報酬系の部分のお話をしたいと思います。

 ゲームの報酬系と言うと、簡単に言うとゲームは短い時間で多い回数を的確に褒めてくれるので、「褒めて貰って嬉しい」という感覚からゲームにのめり込む脳の働きを指していまして、私は自己肯定感が非常に低いタイプなのでゲームとは言え何かに褒めて貰えるのは大変嬉しく、ゲームに没頭する原因となるのです。

 もうちょっと詳しく言うと、アナログキーの入力でも艦これの進撃選択でもいいんですが、何かを選択して何かを行って、それが「思う通りに行った」場合というのが報酬をもたらしていて、練習なり習熟なりで思う通りに行く可能性が上がっていくと正当な報酬系となり、プレイヤーのモチベーションに繋がるのです。そしてそれを繰り返す事で習熟がもたらされ、思う通りに行く可能性が上がり、可能性が上がる事でより難しい行為に挑戦でき、それによってモチベーションが向上し、習熟をもたらすという上昇方向の螺旋構造になっているというのが報酬系のゲームシステムの特徴です。

 この報酬系って非常に効果的と言うか、一部の人間にとって致命的なほど効果が高いんですよね。親や兄弟が言って褒めてみせるなんていう以上にプレイヤー本人の肯定感を高めるシステムになっているので、肯定感がキラーワードになっているプレイヤーにとっては人生に等しいほど影響力があるのです。

 冒頭にある私の話でいうと、「コツコツ貯めた資材を放出してイベントをクリア」というのが、コツコツ貯める事に対してイベントクリアという報酬が与えられており、正のインセンティブが与えられているのです。
 そして「攻略中に出なかった艦娘を掘りで1回・3回で当てて狂喜乱舞」ですが、これも報酬系です。ランダムで結果が異なるものって、「ランダムを引ききる」事でクリアができるので、それだけ繰り返せる事に対しての報酬が「当てる」なのです。ランダムの1回1回は運不運ですが、それを繰り返す事で結果的に褒められる事になり、そしてこれはプレイヤーの能力によってもたらされない部分なので「滅多に手に入らない勲章」なのでインセンティブとして非常に大きいんですよね。
 ガチャゲーではガチャを引いて当てるキャラが尊いのであって、配布されるキャラはコンプリートのため(あるいは他の面を攻略するため)に入手するのであって尊さが違うんですよね。

 そしてここが非常に重要な所なんですが、正の報酬系に対してこの「ランダムによってもたらされる報酬」ってすごく重みがあるんですよ。
 普段は頑張っている事に対して与えられる報酬が運によってもたらされると、プレイヤーは世界に肯定されている実感を受けるんですよね。運の良さは世界から自分の行動に対して与えられるフィードバックとなって感じられるので、ラッキー、と思う事は世界に肯定されていると同じだけの実感を持っている訳です。
 しかし本質的にはゲームにおけるラッキーは「乱数を引き切るだけの試行回数」に対して与えられている報酬に過ぎない訳で、みんなお金なり資材なりをたくさん差し出せば結果論的に与えられるんですが、ラッキーは世界から自分に対して与えられたアドバンテージと受け取られるので嬉しい実感があるわけです。
 ですが実際は乱数を引き切るだけ回数を試行しているだけなんですが、プレイヤーはその瞬間の運の良さを記憶するので物凄く報酬系が作用するんですよね、

 これがガチャ系のゲームの基本的なシステムなんですが、普段から報酬系を刺激しつつ、大事なところは運で刺激する訳なので、ゲームは「人を褒める事」に特化したシステムとして完成しすぎているのです。
 私も自分で分析しつつも艦これ・アズレンの「頑張って貯めて貯めた資材でガチャ」というシステムに対しては抗えませんし、これ完全に中毒ですよね……。
 艦これ・アズレンは「時間」を変換価値にしているので暇人なら問題ないんですが、これが「時間」ではなく「金額」を変換価値にしているシステムだったら破滅は避けられないところだったのです……。

 という訳で私は大金を掴むまでは決してFGOをしない事にしているんですが、FGOのキャラって魅力的なキャラが多くて困りますよね……。


経験を超える財産はお金だけなので

 結論から言うと「経験を超える財産はないので使える範囲のお金は経験に変えて行こう」というお話です。

 先日の投稿で触れていた「DoCoMoでPixel3が21500円」という例の件、結局好奇心が財布の残高を超えたので購入して今試しています。
 AndroidはZenPad S 8.0の時(=Android5〜6の時)に使って以来使っていなかったのでどうなっているのか興味がたえず、Pixel3はAndroid10に正式対応しているし今後2年のメジャーアップデートが約束されているので最新Androidに触れたいニーズには合致するので購入した事自体問題ではないですし、それ以外の問題もありません。

 ぶっちゃけお金という価値観念は体験・経験に換算可能な部分が代えがたいものであって、食べ物飲み物なら代替品があるんですよ。コーラを飲む事にこだわらないのであれば炭酸水なんていくらでも選択肢があるんです。しかし体験・経験は代えがたいのです。コーラを飲まなければコーラの満足感は得られないのです。

 今回自分は「Android9を体験する。Android10とそれ以降2年のアップデートの体験を予約する」という意味合いで2万は出せるという判断だったんですが、それこそAndroid9でするポケモンGO・アズールレーンも体験で、実際iPhone Xと大差ないな、若干劣る程度で済んでいるな、と感じる事が出来たのは代えがたい体験で、それができただけアドバンテージがあるのです。
 そしてその判断をした事自体が経験ですし、今回は幸いな事に「成功した判断」の部類に入る経験をできたのは良かったな、と思うのです。

 経験・体験はそれをするためのお金以上の価値がある(というかそれ以上の価値がないと体験・経験する価値がない)ので、価値のある選択をしている限り経験を超える財産はなく、価値のある判断ができなかった場合でも経験・体験自体はできているので、やはり「経験を超える財産はお金だけ」だと言えるのではないかと思います。
 そしてお金で変換可能なものの中で最も価値が高いのは体験・経験なので、無駄にお金を使わない範囲の中ではお金はどんどん経験に変えていくべきだと思っていて、そこから経験をお金に変えていけば無限に近いコンボを組めるので有用だと思います。

 良い買い物でした。


テクノロジーは裏切らない;裏切るのは常に自分

 基本的にTRPGクラスタ、アナログゲームクラスタ、艦これクラスタ、アズレンクラスタ、Appleクラスタなんですが、もう一個根っこにあるものとして、私テクノロジー好きなんですよ。テクノロジークラスタなんですよね。

 まあそうは言っても今はAppleに囲い込まれているのでパソコンもWindowsはろくに使わない、Androidも3年前に買ったっきり、基本的に新しいもので欲しいものは大体Apple製品っていう感じになってしまっているんですけども、それでもやっぱりテクノロジー好きな気持ちは拭えず、MacにはparallelsでWindowsとUbuntuを入れていますし、GPD PocketにはUbuntu MATEを入れていて、そして今DoCoMoで21500円という破格な値段で出ているPixel3が欲しいのです。

 欲しいなら買えよって話なんですが、まあ買う方向性で調整しているんですけども、なんでこういうガジェットが自分の心を引っ掻くかって、それはテクノロジーが忠犬だからなんですよね。
 どういう事だっていう話になると思うんですが、テクノロジーって技術で、技術って再現可能性を指すんですよ。再現できない物は技術ではない。そういう意味で、テクノロジーで作られたものはテクノロジーの法則によって「必ず」想定した動きをする(期待した動き、ではないですが)ものなので、インプットを間違えない限りアウトプットは必ず一定なんですよ。テクノロジーって裏切らないんですよね。

 裏切るとしたら常に自分で、自分の盲点・思い込み・認識不足・勉強不足が原因で、出るべき結果が出ているのにそれを想定できていないという部分が問題で、問題なのは常に技術の方ではなく自分の方なのです。

 そしてこの再現可能性が非常に沁みると言うか、人がテクノロジーについて「これこれこうやったよ!」というのを見た時、自分も羨ましいと思ったら同じ事をすれば同じ結果が帰ってくるんですよ。もちろんガチャの結果とかは乱数が絡むので再現できないんですが(厳密に言えばランダムシードが確定すれば再現はできる)、人がした事を再現できるというのは非常に勉強になるし、魅力的なのです。

 そういう訳で、今はAppleクラスタなんですがAndroidにも後ろ髪引かれる思いは正直あるので、Pixel3でAndroid10を試せるんなら2万円は高くない買い物だと思うのです……。やっぱり来週頭にDoCoMoショップに行った時に在庫があったら確保しちゃおう。

 テクノロジー周りはアンテナ感度が落ちるとどこまでも置いていかれるので、ある程度の感度は保ちつつ情報を常に追うスタンスを崩さないようにしたいですね……。


兎に角出力せよ>練習

 物事の練習にはインプットとアウトプットがあるんですが、基本的にアウトプットを中心に考えてアウトプットするためにはどういうインプットが良いかを考えていくべきですし、悩んでいる暇があったらまずアウトプットしてからアウトプットを検討し必要なインプットを行い直してまたアウトプットをするべきだと思うのです。

 人間入力だけでは限界があるというか、どれだけ音楽を聞いても手を動かして練習しなければ楽器は弾けないし、声を出して歌わないと音程は合わないのです。同じように文章も読むだけでは決して上達せず書き出して書いたのを読んで必要に応じて修正の段階を繰り返すべきで、出力なき入力には(趣味で楽しむという意味はありますが)技術としての意味がなく、入力なき出力には練習としての意味があるので、入力量以上に出力して構わないのだと思います。

 アウトプットが出ない時、インプットが足りないからだ、はみ出すまでインプットしろ、という意見も正しいと思うのですが、逆に普段からアウトプットして行かないから出ないのだという意見もあると思い、私は前者の意見だったのが今は後者の意見で毎日ブログを書いてTwitterをするようになったのです(そして絵の練習もしている)。

 毎日出力していれば出力量の増減はあれど「全く出ない」という事は考えづらく、出づらい時に出す努力をせずに出さなかったために出口が詰まっているのだと思うんですよね。よっぽど体調が悪いとかコンディションが酷い時でもないと「出ない」というのはないと思っていて、そういうレベルで出ない時には無理をする必要はないんですが、なんとなく出づらいな、くらいの時にはちょっと頑張ってでも出してしまった方が明日以降の自分が楽になると思うのです。

 出力をしなければバロメータがないので今の自分がどのステータスにあるのかも確認できないですし、評価というものは出たものに対して行われるものなので(努力自体は尊いんですが評価には値しないのです)自分を評価するにはまずアウトプットをするしかないのです。

 先刻から「兎に角出力しろ」としか言っていないんですが、結論から言うと何をするにせよまず出力して評価をするのが正当な流れなので「まず出力しろ」というのが第一歩ですし、そして結論でもあると思うのです。