月別: 2019年11月

がっつりネタバレするニーア オートマタの話

 タイトルにて宣言していますがPS4のニーア オートマタの話をネタバレてんこ盛りでバリバリとしたいと思います。
 ネタバレが嫌な方、未プレイの方、ゲームの話に興味のない方は回れ右でお願いします。

 結論から言うとめちゃくちゃ良かったです、ニーア オートマタ。
 ちゃんと5周してA〜Eエンドを順に見たんですが、これ非常に良い構成ですね。

 1周目はなんとなく良い話で終わり2Bの魅力を押し出して、2周目で9Sの視点から2Bの魅力を掘り下げつつ9Sにとって2Bが掛け替えのない仲間になっていくところをプレイさせつつ人類全滅をさらっと情報として出して、という所までとにかく2Bを主軸においておいて3周目でさっくり2Bを殺し、代わりにA2の話を入れつつ機械生命体の話を入れ込んでパスカル周りで絶望させてA2死亡エンド、4周目で9SがA2と同じ流れで絶望に身を任せて破滅するところを見せて、最終的に5周目で2B死亡・A2死亡・9S大破からの全員復活エンドというのが非常に良かったです。

 個人的にこの話の主人公は2Bと9SとA2ではなく「アンドロイド」という概念だと思っていて、この作品では魂のあり方を「情報の連続性と唯一性」という形で提示してくるんですよね。魂は唯物的なものではなく、1周目スタートのブラックボックス融合で一回本体が破壊されて2Bは連続性を持って立ち上がり9Sは「巻き戻った」形で帰ってくる、そして1周目エンディングでは汚染された9Sが「巻き戻る」事を選択した時にでもそれでは「今の君は」戻ってこない、というシーンが非常に象徴的です。しかしその後ネットワークに自我が再構成されてグッドエンドという形なんですが、これは「連続性」という意味では救われてないんですよね。厳密に言うと3周目のブラックボックス融合でもそうなんですが、「滅ぶ瞬間」が同期できない以上精神の連続性は担保できず、精神の連続性という意味だけでは1〜2週目の9Sは救われていないし5周目の2B・A2も救われていないんです。
 しかし「連続性・唯一性」という意味でいうと拠点ジャンプでもそうなんですが「精神のコア」がどこにあるかが明確で、精神のコアがバックアップされておりそれが戻されたら魂が戻った、という解釈でいうと全てハッピーエンドなので(2Bもウィルス汚染前のデータが戻ったという意味では魂が浄化されている)、この作品はそういうフォーカスで作られているんだと思います。

 まあ細かい突っ込みをするとA2のフィルターの話は「拠点ジャンプで本体変わるので不要では?」というツッコミや、先程書いた「精神の連続性」でいうと9Sも2BもA2も救われていないのに説明もなしにハッピー風に終わる部分だったりがありますのでアレなんですが、全体的には非常に良い話だと思います。

 悲しい部分でいうとパスカルのイベント後記憶をクリアするとパスカルの店で「子どものコア」が売りに出されるんですが、その前のイベントで「コアがないと復元ができない」と言っているので、逆説的に言うとパスカルが子供のコアを売る事で復元できるはずのたった一人の子供が救われない、という話があったりして、深いな、と思いました。恐怖を教える事で死なせてしまうという悲劇は素晴らしい題材だったと思います。

 個人的にはジャケ買いというか、2Bが非常に魅力的だったのが気になって購入したんですが、2Bの美しさ・強さ、9Sの賢さ・脆さ、A2の優しさ・悲しさがフォーカスされて非常に良い作品でした。
 基本的に女性主人公の作品で主人公とくっつく男性キャラはあまり好きじゃないんですが、9Sは2Bとうまく行って欲しいな、と素直に思えるキャラ作りだったのでエンディングもモヤモヤしないで見られました。
 欲を言うならA2の話はクエストじゃなくて3周目・4周目の本筋でやってほしいというのは有りましたがそこら編は作品作りの部分なのであまり深くツッコミはしません。

 続編を作る的な話が出ているので結構楽しみというか、PS5で出るならPS5と一緒に購入する事も要検討だな、と思います。まあ前作品のニーアレプリカントは「手を出さなくていいかな」程度なんですが、続編が良かったら中古で掘り起こして買ってくるかも知れません。

 久々に1本ゲームをクリアしたんですが、良い作品に出会えたものだと思っています。

 次はモンハンアイスボーンとポケモンソードなんですが、これらの作品は終わりがない作品なので「飽きるまでプレイ」なので、ちゃんと終わりどころのあるニーア オートマタは良かったな、と思います。まあポケモンソードはチャンピオン倒しておしまい、という方法があるのでそれで「終わり」でもいいかな、とは思うんですけどね。


PCは天下の周りもの

 結論から言うと中古PCは回してナンボなので使えるうちはガンガン使って、使えなくなったら欲しがる人のもとにトスするのが一番ですよね、というお話です。

 うちは家族4人に対してMacが4台、Windows機が4台、iPhoneが4台、iPadが2台ある特殊環境なんですが、そのうちのWindows機1台を人様にお譲りする事になりました。
 経緯としては今まで長男が使っていたPCなんですが、私のパソコンがMacBookPro15インチ2018年モデルにアップデートされたのに伴ってWindowsで使っていたVAIO Zを長男に払い下げる事になり、その結果今まで長男が使っていたDELLのLatitudeが余ってストックに積み上げられていたんですが(それと時を同じくしてMacBookPro13インチ2015年モデルが嫁さんに払い下げられたので嫁さんのMacBookPro15インチ2012年モデルが次男に押し出され次男の使っていたパソコンもストックに積み上げられたんですが)、その「2台余っているうち」の1台、性能が良くてOfficeがついている方を、事故でパソコンを無くされた(どころか家が燃えたそうです……)方にお譲りする事になりまして、お譲りするのにあたってWindows10の再インストール、再設定、Officeのインストールなんかを終わらせた所です。
 機械としては長男がマイクラをプレイするのに使う、くらいの気軽なレベルで買ったものなのでOfficeは動くけれどもゲームは無理です、程度の奴なんですが、今仕事をするにあたってOfficeがなくて困っているという話なので速攻でリストアして明日渡せるようにセットアップしました。

 私は新品が欲しい人なのでアレなんですが、中古のパソコンって一定のニーズがあるというか、性能の右肩上がりの限界が来ていて結構古いパソコンでも「Officeくらいなら動く」レベルのものが溢れかえっている状態なので、「この用途に欲しい」という用途がジャストで定まっているのであれば中古パソコンを買うという選択肢はありだなと思うんですよね。実際私もMacBookPro15インチ2018年モデルは値段も重量も重すぎて持って歩けないので気軽に持って歩いてガチャガチャできる用途に中古のMacBookAir11インチを買ったばかりなので。

 で、中古のパソコンも性能の下限を下回っていない限りは「ストックに積まれて」もまだ日の目を見る可能性があるというか、私の用途・私の家の用途にはそぐわなくてもまだ「欲しい」という人がいる可能性があるわけで、そういう人に出会えるとストックに積んでおいた意味もあるので良かったな、と思うんですよね。

 まあ暇な時にLinuxでもインストールしてマイクラの常時サーバでも立ち上げてやるかな、くらいには思っていたものですが、それはもう片方のパソコンでもいい話ですし、ぶっちゃけ今私が使っているMacBookPro15インチ2018年モデルのメモリの片隅で走らせておけば何の問題もない事だったりするのでもったいないとも思いませんし、むしろ存在を忘れかけていて嫁さんに「こういう人がいて、あげられない?」と聞かれて思い出したと言うか、そうだな家にあったな、いらんから持っていきなさい、ちょっとリストアするから待ってて、くらいの感じで家から送り出される事になったんですがストックに積んでいて良かったな、と思います。

 まあこういうのは一部のオタクが色々抱え込んでいて、周囲の一般人が困った時に「余り物で良ければ……」的な感じでお役に立てると「オタクも世の中にいて便利な事があるのね」的な受け入れられ方をできると思うので、どんどん頼って貰っていいですしオタクもいらんものなら気軽にプレゼントすればいいと思うんですよね。まあ大事なもの・愛着があるもの・思い出があるものを差し出せという話ではなくてタイミングが合えば捨てる気持ちで差し出せるといいですよね、という話なんですが、今回は私のPCはオタクが役に立ったパターンになるのかな、と思います。お役に立てて嬉しいです……。

 そんな訳で中古のPCは使える間はガンガン使っていって、自分のニーズに合わなくなったらそのPCが満たせるニーズを持っている人にお渡ししてリレーができるといいですよね。最終的にはリサイクルボックスにゴールするんでしょうが、そこまでの「中継点」であれるといいな、と思ったのです。


生きている報告・周回ゲーム

 10日ほどサイトを放置しました。だいたい2〜3日に1回更新するイメージだったので3回分ほど更新をスキップしています。
 情熱が失せたとか情念が薄くなったという訳ではなく、ただ単にゲームをやっていてそっちを優先していたので吐き出さなかっただけで、情念自体は濃く残っています。

 というか本格的に冬になってきたので非常に調子が悪く基本的に寝てばかりいるんですよね。でも横にはなっていても眠れているわけではないのでいらぬ事ばかり考えてしまい陰々滅々としているので非常に良くなく、そこはなんとかしなければならないのですがそっちについては病気ブログの方で触れて行きたいと思います。

 じゃあ久しぶりに雑記ブログなので雑記を、という話なんですが、ゲームしかやっていないのでゲームの話しかできず、それは自分のニーズにも見に来てくれている人のニーズにも合うのか、と考えると若干ながらズレているなと思うので、軽めにやりたいと思います。

 今やっているのが周回ゲームなんですが、周回するごとに新しい情報・イベントが追加されて更に深く作品に触れて行く事ができる構成になっているんですが、まあ単純に言うと「1回で全部見せろ」と思うんですよね。エンディングを分岐したい気持ちもわからなくはないんですが、それでも一番いいエンディングを1個用意してそれを出せよ、と思うんです。
 周回ゲームである事自体は暇つぶしという観点から見るとむしろ好ましい要素にはなるんですが、周回である以上「同じ部分をプレイする」という場面があり、そこがつまらなく感じるのです。
 とはいえ周回である以上「どの場面のアナザーであるのか」が明示されないと面白くないので「その場面」に至るまでの経緯はもう一度やらないと「どのシーンなのか」がわからないですしその経緯を踏まえてアナザーの部分を楽しんで欲しい内容なので、周回によるプレイのダブリ部分は予定された無駄なんですよね。その無駄を許容しないと周回ゲームが成り立たなくなる。
 まあ楽しく周回しているうちに全部の分岐が見れて満足して終われればいいんですが、その前に飽きると積み上げた時間が全部無駄になるのと、分岐が多すぎると着手する気力すら湧かなくなるのでそのあたりうまく調整して欲しいです。

 できるなら10時間程度の短いのを5〜6周させるか、40〜50時間のものを1周プレイでスッキリ終われるか、くらいの時間スケールで作ってもらえるとゲームソフト1本5000〜9000円が許諾できるのでいいな、と思います。

 それを考えると今出ているロマンシングサガ3、主人公8人で4000円以内、1プレイ30〜50時間ってすげえボリュームですよね……。


この世界に傷痕を残したい

 毎日毎日ブログをゴリゴリ書いているんですが、今はもう書く事自体が習慣化されて「ゲームをしない日は多いがブログを書かない日はない」という感じになってきているんですが、そもそもなんで毎日ブログをゴリゴリ書いているかと言うと、自分が生きてきた証を残したいからなのです。

 ものすごく話がすっ飛んだので誰もついてこれていないと思うんですが、私、世界に受け入れられている実感が薄い方でして、なぜ自分がこの世の中に生まれてきて生きているのか、という事に強い確信を持って答えを出す事ができないのです。
 自分にとって世界は特別なのに、世界にとって自分が特別でない事は普通に考えて当たり前の事なんですが、それでは納得ができない自分がいるんですよね。
 自分にとって特別である嫁さんにとって自分も特別でありたいのと一緒で、自分にとって特別である世界にとって自分も特別でありたいのです。しかしそれは叶わない。いくら望んでも無理です。私は数十億分の1でしかない。
 しかしそんなちっぽけな自分でも、世界に何か残したいんですよ。できれば大きな傷跡を。傷というのは特別なものなので、くっきりとあとを残して傷痕をつけてやりたいんです。自分が特別である事が叶わないのなら。自分から動いて大きな傷跡を残し、世界から見て無視できない自分になりたいんです。

 じゃあテロでもなんでもおこせよって話なんですが、私の言う世界は人間社会とはイコールではなく、なので人間社会に傷跡を残しても本当に望むところとは違うのです。
 世界を壊すものの遺伝子を運ぶ、という役割でもいいし、世界を救うものの遺伝子を残す、でもいいし、誰か世界にとって特別な人に影響を与えるでもいいんですが、何か特別なものに影響を与える何かになりたいんですよね。

 そこを考えると自分にできる可能性があるのは「特別な誰かに影響を与える」くらいで、そしてそれは多分知恵を持ってしないと駄目なんじゃないかと思うんですよね。まあ今までの経緯で誰かに影響を与えられたかで言うと答えはノーでしょうしこれからもノーなんでしょうが、可能性が0でない限りは無限に出力していけば必然的に誰かに到達するので、そのために毎日出力している部分があります。

 結論から言うと「認められない怨念で書き続けている」という事なので認められたら成仏せねばなりませんし認められなければ一生垂れ流し続けなければならないので頭の良い選択肢ではないんですが、これ頭で考える問題じゃなくて感覚の問題なので、多分一生変わらないと思うんですよね。
 よしんば誰か特別な人に認められても物足りないでしょうし、一生首を傾げながらアウトプットし続けている人生なんじゃないかと思います。

 まあそこをわかっていてやっているのでいいんですが、そこに気づくまでの人生の違和感って相当なもので、気づくまではかなり暮らしにくかったので、もし似たような感じの人がいたら、「それ感覚の問題だから一生変わらないと思うよ」というアドバイスをしてあげて欲しいと思います。

 もう無理ですよね。


アウトプットが足りなくなっている

 気づけばこのブログも1週間更新していない訳ですが、基本的にアウトプットが渋滞を起こして詰まっているのです。
 出すものを出すべきところに出していかないと出なくなるというのが基本的な部分だと思っていて、出ないという事は出し方が悪いか出す場所が悪いかというのがあると思います。

 もちろん毎日計画に従って必要な分量の文章を正確に書いて出す、というのができれば一番いいんですが、毎日ネタが沸いてこないのと計画に従って出すのは創作じゃなくて作業だみたいなところがあって淡々と出し続けるのが私としては無理なんですが、それでも1週間・1ヶ月・1年で見た時に一定量の分量と一定のクオリティで出せて行けると良いな、と思っていて、そのための練習場としてこのブログを設けているのでこのブログが1週間更新されていないのはイケてない証拠なんですが、またイチからやり直していきたいと思います。

 テキストというアウトプットが出ていないのはインプットを取り込む、咀嚼しして消化する、自分の中で形作って書き始める、書き始めた事を最後まで完遂するという流れがあっての事で、どこかで躓くと結果として「テキストが出ない」という結論になるんですが、同じ結論でも原因が違うと対処法が違ってそもそもインプットが足りないなら放り込まなければなりませんし咀嚼できていないのであれば自分でブレイクダウンしなければならず、消化できていないのであればもっとすり潰して入力せねばならず、形作れないのであればもっと煮詰めるべき、書き始められないのであればきっかけを作るべきで完成できないのであれば根を詰めて作業を行うべきという全て別の対処なので「テキストが出ません」という一つの問題に対しての対処方法は一つではないので面倒くさいですよね。

 そしてぶっちゃけ自分の場合はバイオリズムと言うか、生活している中で波の上げ下げがあって上がりすぎると作業が手に付かない、下がりすぎるとやる気力がないという部分まで行くので波の中心点を維持しつつテキストを書いて行きたいんですが病気なので上げ下げは避けようがなくどうしようもない部分は受け入れつつやっていくしかないのかな、と思います。

 もっと、もっとバリバリとアウトプットできればなぁ!