月: 2019年8月

自分をドライブしないと自滅する

 結論から言うと「自分の人生をドライブできるのは自分だけなので自分の人生のハンドルは自分で握っておけ」という話です。

 自分で言うのもなんですが、私は性能が高いのです。何の性能かって、物事に対する最適化の適性が高いんです。
 何かを自分でやってみて、そして効率化をしていくというのが非常に得意で、ぶっちゃけどの世界に入っても2流まではあっという間にいけますし、そんなに数を経験しているわけでもありませんが1流までもわりと早くたどり着けると思います。
 何を偉そうに実績でもあるのか、と言われれば、大学中退・介護の専門学校出身で世界最大IT企業の日本コールセンターのセンター長をしていた、といえばわかりますかね。働いていた企業は有名な企業ではありませんが、日本で1流のIT企業と組んで世界で1流のIT企業のコールセンターをゴリゴリ運営していました。ちなみに立ち上げから安定運用まで全部面倒見ましたし、採用から教育、運営マニュアルまで全部手を出しました。

 まあそれはどうでもいいんですけど、私は性能が高いので、それが人に見えるのです。そしてどこに行っても期待されて何かを背負わされるわけです。
 そして期待されたら裏切れないのが私の性格で、何かを求められたら結果が出るまで効率化をガンガンやるわけです。
 しかしちょっと考えてみて下さい。普通効率化なんてみんなやっているんですよ。それでも「私が」やった時に更に効率的になるわけで、基本魔法を使っているのです。
 でも魔法なんてそう簡単に使えないのです。よっぽど正気度をゴリゴリ削って論理の道をショートカットして原因と結果をつなげて逆流しないと「さらなる効率化」なんて無理なんですよね。
 ですがそれをやってきたのです。代償に身体と心の健康を捧げて。

 まあ結論から言うと間違っていましたね。負担が重すぎてパンクしました。
 できるからってやればいいというものではないんですよね。10年かけてやればいい事は10年かければ良かったんですよ。自分自身の存在価値を出すのであれば10年かかる事を5年でやれば良かった話で1年2年でやろうとする必要はなかったんです。

 この経験から言えるのは、周囲の求めに応じてホイホイと自分のキャパシティ・能力の上限を出してはいけない、出すにせよ一時的にしておいて恒常的にやろうしてはいけない、という事なのです。

 私は高性能でしたが愚かでしたので気軽に上限を出してリミッターを破壊し、会社には迷惑をかけませんでしたが自分の健康と人生を台無しにしました。
 これは大変良くない結果なのです。

 自分の人生をドライブできるのは自分だけなので、人に何を求められようが何を言われようが、自分の人生のハンドルを誰かに預けてはいけないのです。預けたらいつか必ず事故を起こすのです。
 事故を起こしてから立て直せる人生もあるかも知れませんが、魂の死亡事故を起こしてからでは手遅れなので、基本的に事故を起こさないで済むなら起こさない方が良いです。
 まあそれでも事故は起こるんですが、自分でハンドルを握っていて起こした事故は自己責任ですが、人にハンドルを握らせて起きた事故では後悔しか残らないので、常に自分のハンドルは自分で握っておいた方が良いのです。


魔法のようだ;歯医者さん

 ここ数日歯痛でイライラしていたんですが今日予約が取れたので歯医者に行ってきました。
 ガリガリ削られて痛かったんですが、診察台を離れたらアラ不思議、今まで淡々と痛かった歯が全く痛くありません。薬を詰めていないし飲んでもいないのに、痛みだけ綺麗に消えたのです。魔法のようです。

 歯の痛さって特別で、切り傷擦り傷は一時的に痛くても次第におさまってきますが歯の痛みは消える事なく淡々と、淡々と痛さが続いていくのです。耐えられません。

 しかし歯痛は歯医者に行けば一時的に痛くなったとしても必ず痛みはマシになるので、歯が痛い時には迷う必要なく歯医者に行く一択ですよね。迷うべきなのはどの歯医者にするかであって行くかどうかではない。
 私は今回家の近くにある歯医者にしたんですが結果的に痛みを取ってくれたので判断は大成功だったという事でこのまま通いたいと思います。

 結果としては良くない歯を来週抜く、という事で決まっているので今から戦々恐々としているのですが、まあ抜けば抜いた主体はもう傷まないので空いた穴の痛みにさえ耐えればもうあの歯の痛さからはサヨナラできるので、気合いで歯を抜いてきたいと思います。

 とりあえず今日は痛みから開放されたので良かったね、というお話でした。


人生には音楽が必要だ

 結論から言うとNo Music,No Lifeというお話です。

 昔からあまり耳が良い方ではなく色々な音を聞き逃すタイプなんですが、逆にその分怨念が濃いのか、昔から音楽というかパンクやメタルなどのガチャガチャした音が好きなんですよね。

 まあそんなにお金に余裕のある方ではないのでお値段の高いヘッドホンなんかをするわけではなく安いステカセで音楽を楽しんでいた訳なんですが、ここ3年でApple信者に化けて化けたついでにAirPodsに手を出した訳なんですけども、これで音楽を聞くと安いステカセで聞いていた音とは全く違う訳です。
 自分が聞いていた音が本当はこういう音なのか、というのに気付かされると冷水をぶっ掛けられた気持ちになるんですが、新しい発見があって良いです。

 しかしAirPodsで聞いた音楽が「違う」からと言って、今まで聞いていた音楽が「間違っている」のかと言えばそうではない訳で、その当時その音をそう聞いていたから心に響いた物もある訳で、そこを引っくるめて一概に「間違った音楽を聞いていた」という訳ではないのです。

 本を読む時に、その時の気分によって作品の印象が違うのと一緒で、音楽を聞く時も気分によって印象が違うし、聞いている音の違いで印象が違うのは当たり前で、その瞬間に感じられた事が全てであり、代えがたい体験なんですよね。

 なので当時の思いはそのままに、今AirPodsという道具を使う事でリファインした音楽を聞いている訳ですが、聞こえている音は違っても聞いているモノのコアは一緒なので思い出される原風景は変わらず、そして自分は変わっても思い出は変わらないのです。

 自分の人生という作品の中に刻み込まれた音楽は決して変わらない、その瞬間思った事は変えられない、そして自分は変わっても自分のコアは変わらないという訳です。
 まさにNo Music,No Life。

 そんな訳で、今は女性ヴォーカルのメタルが好きなのでオランダのEpicaさん、イタリアのFROZEN CROWNさん、スウェーデンのMETALITEさんなんかをヘヴィローテーションで聞いているのですが、10月25日にMETALITEさんが新しいCDを出すとの事で非常に楽しみにしています。
 METALITEさんヴォーカルが変わったというので恐る恐るサンプルを聞いたんですが大きな違和感はなく、そのままCDを買って聞いてもいいな、と思ったので、10月のお小遣いに1600円のCD代を入れ込んでおこうと思います。

 きっとこの女性ヴォーカルのメタルが懐かしくなる時が来るんでしょうね……。


ポケモンGOは化け物だ

 結論から言うと「ポケモンGOは化け物だ。このスケールで無料の範囲内で手いっぱい遊べるゲームは普通に考えてありえない。どうもありがとう」というお話です。

 ポケモンGO、最近になって復活しました。
 元はローンチからやっていてボール不足で課金しながらヒィヒィ言って歩いていたんですが、当初の段階だと一人遊びと言うか競争・協力要素がなく一人で遊ぶのがツラくなってやめたのです。
 その後長男次男がやりたいと言い始めてプチ復活、夜中散歩がてらに子供の分のモンスターボールを回収しに公園へ、という感じでやっていて、時々子供と一緒に散歩をしたりするのに良いかな、と思いつつポケモン交換も出来ないアプリだったので結局尻すぼみになって終了しました。
 復活したのはここ1ヶ月で、嫁さんがポケモンGOをし始めたんですよね、しかも結構熱中して。ウチでは嫁さんがハマったゲームが正義(家族4人でやりたいニーズが嫁以外の3人にある)なのでみんなポケモンGOのアプリを開き直し……という感じで今に至るのです。しかし嫁さんがハマっているので家族のみんなもドハマりしており、今は車で移動しながらポケモンをガンガン集めつつポケストップでアイテムを仕入れる毎日なのです……。

 しかし、現時点でポケモンGOは化け物です。
 ポケモンでバトルできてポケモンを交換できてジムバトルもレイドバトルもできる、ジムバトルを頑張れば1日に50円分の課金ポイントを集められ、4日貯めればポケモンBOXや道具の数が拡大できる、毎日コツコツやれば週に1回伝説のポケモンをゲットするチャンスがある、ピカブイと連携してメルタンが貰える、コツコツやれば1週間で25レベルまで行ける、と文句のない構成です。

 いつからこうなったのか、自分の中である程度追っていたんですが、これアップデートを愚直にやったからなんですよね。
 一つ一つ派手じゃないアップデートを積み重ねて小さな機能から大きな機能に育てて集大成である「ポケモンGO」が大きくなっているのです。

 普通このレベルまでアプリが育つのはなかなかないですし、しかも当初課金要素のメインだと思われていたモンスターボールが(今も売っているものの)ポケストップの増大で実質無課金で遊べる状態になっており、先にも書きましたが真面目にプレイしていると1日50円分までのポイントを貰う事ができるので課金単価が安い事もあり4〜5日も貯めればアイテムが買えるのでほぼほぼ課金なしで行けるんですよね。実際色々あって今月頭にアカウントを作り直した次男は無課金で今26レベル、持っているポケモンもすごい数なのです。
 これ、多分公式ポケストップになるための(セブン-イレブンとかソフトバンクとか公式ポケストップですよね)契約金で回しているからできている事なんだと思いますが、ポケGOは遊ぶために外に出なくては行けないゲームなので公式ポケストップになる事で「立ち寄って貰える」代理店のメリットと契約金を貰える公式のメリット、それに加えてポケストップでアイテムを補充できるプレイヤーのメリットとメリットしかない環境をよく作れたなと思うのです。

 ゲーム性で言えばランダムで出るポケモンをモンスターボールで捕まえる、モンスターボールはポケストップでランダムで入手する、モンスターの強さはレベル依存もあるが基本ランダム、個体値もランダムなので頑張って、というランダムの塊なんですが、全部楽しめるんですよね。
 天気や地形によってポケモンの出る傾向が違う、モンスターボールにはグレードがある、ポケストップは気合いで回ればアイテム所持制限まではいくらでも回せる、ポケモンは取っている内にCPと個体値が高い個体が見つかる、という明確なアンサーあってのランダムなので考えながらやっていく要素も結構強いですし。

 そして昔と違ってジムバトル・レイドバトルで友達と一緒にプレイできるようになっているのも素晴らしいんですよね。ジムバトルはジムを攻略してポケモンを配置して小銭を稼ぐ事ができますし、レイドバトルは倒したポケモンをゲットできる可能性がありモチベーションに繋がりますし、やっぱり一緒にプレイできるってそれだけで楽しいんですよ。

 まあ色々とっ散らかっているんですが、昔はそれほど魅力がなかったポケモンGOなんですが、久々にプレイしたら異様に面白い大作になっており驚いたというのが正直なところです。
 今はまだポケモンを集めて鍛えている段階ですが近く伝説のレイドバトルをクリアできるメンツを育てようと思っていますし、そのためにアイテムが欲しくてポイントを貰うためにジムバトルをクリアしたい、そのためには回復系のアイテムが欲しくてポケストップを回る必要がある、という状況で、ここから更に楽しいんだろうな、と思います。

 とっ散らかってますね。
 結論を言うと「ポケモンGOは化け物だ。このスケールで無料の範囲内で手いっぱい遊べるゲームは普通に考えてありえない。どうもありがとう」というお話でしたー。


コストが掛からないなら何でも試すほうが得

 結論から言うと「お金がかからない範囲ならなんでもまず試してみる方が得ですよ、時間がかかりすぎない範囲でね」という話です。

 私テクノロジー好きなので新しい機能が搭載されたデジタルデバイスに飛びついてしまう傾向があるんですが、iPad Pro10.5インチとApple Pencilも当然飛びついて購入したんですけど、iPad Proは使いみちがあるんですがApple Pencilの使いみちがなくて充電しては放電して、というのを繰り返していたんですよね。
 いつもパソコン・スマホが身近にある環境で手で書くよりタイピングした方が早い(フリック入力も激速)タイプだったのでApple Pencilが完全に死に体で、何か使い道はないかと思っていたんですけども、使い道があったんです。絵を描けばいいんです。

 もちろん43年生きてきてイラスト畑の人じゃないという時点でお察しなんですが、そもそも私絵を描けません。テレストレーションとかのゲームをやっても絵が崩壊しているので「???」と思われる絵しか描けず、自分の思うように絵を描けないので描かないでやってきたんですけども、よく考えたらデジタルお絵かきは電力以外喰うものがないのでトライする分には無料だな、と思ったんです。

 まあ絵を描きたいという発心が明日以降も続いているかは不明なんですが、とりあえず無料だな、と思い試してみるとデジタルお絵かきはアンドゥ・リドゥができるので一発描きでアナログ絵を書くのに比べれば数段マシな絵ができるのです。これは試してみないと出てこない発想でした。アンドゥ・リドゥという機能の凄まじさを体験しました。

 これって「お金がかからない範囲なので気軽に試せる」ので体験できた事なんですよね。逆に言えばお金のかからない範囲の事は試してみれば新しい発見があるかも知れない、という事です。
 もちろん試すのに長い時間がかかる事は時間というリソースはお金に換算できるものなのでお金を使っているのと一緒で、あまり長い時間がかかる事は気軽には試せないんですが、1回の行動が5分10分、1時間程度の事なら気軽に試してみればいいんですよ。やってみて「美味しくない」と思ったら、これは美味しくないという事がわかったという事なので次回から避ければ良い訳ですし、知って損はないと思うんですよね。

 音楽をやりたい、ギターを試したいという話になった時はギターを買わなければならないので初期投資がかかるので二の足を踏むのはわかりますが、そうじゃない、今持っているもので追加投資無しで試せる、というものは無料の範囲内で色々試せばいいし、その中で本格的な趣味になったり仕事になったりする事が出てくれば大儲けなので、無料で試せる範囲は試さないと損です。

 時間は茫洋として使うといくらでも無駄に費やせる資産なので、1秒が進む間に何かをした方が良いわけで、その1秒で何かを試せるのであれば、まずお試ししてもいいのでは?と思います。もちろん忙しい時に試す必要はないですが、人間いつかは暇な瞬間が来るので、その瞬間が来た時に試せる何かがあればいいですよね。


表現の自由は批判の自由

 長文を書くニーズのブログなんですがそれほど長文でないネタで一つ。
 結論から書くと表現の自由は批判の自由なので批判に対して表現の自由では逃げられない、というお話です。

 基本的に人権の一部として「表現の自由」は無制限に認められるんですが(今法改正で無制限でなくなる可能性がありますね)、なにか過激な表現をして批判が集まった時に「自由にやれないこんな国じゃ ポイズン」と言い出す人が結構な割合でいまして、根っこがズレているな、と思うのです。
 自由にやった結果批判が集まっているのであって、表現の自由というのは批判されない特権を保証するものではないんですよ。

 なぜかというと、批判というのは「一つの作品に対して自分が思った事を表現する」事なので、批判自体が表現なんですよ。そして表現は表現の自由で守られるので、批判は表現の自由で守られるものなんです。批判していいんですよ。ただ、その批判が批判されないとは保証されない。

 同じように、批判が批判されない保証がないように、表現も批判されない保証はないんですよね。
 なので、過激な表現をしたければすれば良い、それに対し批判したい人は表現の自由があるので自由に批判すればいいんです。それだけの話です。

 表現する人は「表現の自由」を持ち出すのであれば、それは「批判の自由」を担保する概念なので、批判される事自体は受け入れなければならない。

 ただ、どんな批判でもその「内容」を受け入れなければならないわけではありません。批判される事自体は受け入れなければなりませんが、脅迫を放置する必要はありませんしその場合は公的権力に頼るべきです。
 しかし犯罪ではない範囲の批判はされる事を受け入れるべきで、「自由にやれないこんな国じゃ」なんて言ってる場合じゃないのです。あなたがすべきなのはそういう批判をしてくる人を殴り倒すだけの威力がある表現をすべきであって、「表現の自由」を持ち出してお茶を濁している場合ではないのです。

 もちろん批判にも批判が伴うので批判は「一方的に殴る権利」ではありません。むしろ殴りに行っている分普通の表現よりも殴り返される危険性が高い表現です。しかし表現なので自由なんです。犯罪を犯せば捕まりますが、その範囲でなければ批判は無制限に許されるべきものなのです。

 表現と表現に対する批判は一つのコインの表裏なので、どちらか片方だけ都合よく使いたい、という訳には行きません。批判されたくなければ発表しなければいいのです。発表したからには他人の批判という表現を認めなくてはならない。
 それができない不覚悟な人であれば、そもそも発表をすべきではないんですよ。どうしてもしたいなら誰にもつながっていないノートに書いてしまっておけばいいんです。それだって立派な表現です。

 このあたり表現の自由という概念が柔軟性が高くて色々なものに応用できるので便利に使いたい人がいる反面、批判は受けたくないという間違った自由を振りかざす人がいるので残念ですよね。

 なので、表現の自由では批判からは逃げられません。残念でしたね。


ヒグマ駆除に思う縄張り論

 ここ1週間ほど家の近所というか100メートル範囲内にヒグマが出まして、緊張感を持って生活していたんですがこの度ヒグマが駆除されまして、出没圏内に住んでいた自分としては突発的致死インシデントが解消されたので大変ほっとしているんですがヒグマの脅威を肌で感じていない人達が「殺す事はないだろう」「麻酔銃で眠らせて山の奥に帰しては」「動物園に入れればいいと思います」というお話をしているのを見て、ちょっと思った事を。

 基本的に北海道におけるヒグマって天災の類なんですよ。出会い頭にぶつかって相手の機嫌が悪ければ無残な死に方をする、という荒御魂そのものなんですよね。ヒグマって。
 のんきな人が思うクマさんってツキノワグマが殺傷力を控えてサイズだけ大きくなったイメージだと思うんですが、人の頭を引きちぎる凶暴な動物がウサイン・ボルト以上の速度で走ってくる訳ですよ。基本的に近距離で出会ったら後は生きるか死ぬかは運任せ、という存在なんですよね、ヒグマって。
 説明が難しかったら、「ヒグマは日本で出会える最強の狂戦士だ」と思ってね。

 で、天災の類に対して人間が出来るのは備えだけなんですよ。なるべく出会わないようにして、出会わないようにして、出会わないようにするしかないんです。出会ってしまったら手遅れの類なので、とにかく「出会う可能性を低くする」しかないんです。

 しかし、「天災を避ける事ができるボタン」があったらどうします?押しますよね。誰だってそうする、俺だってそうするのです。それが「駆除」です。
 大雑把に説明すると、人里付近に来たヒグマを銃で撃って殺します。

 なぜ殺すかと言うと、人里に降りてくるヒグマは人間を恐れていないのでいつか事故が起こる事と、眠らせて山に帰した所でヒグマにだって脳みそがあるんで戻ってくるんですよ、餌を求めて。そもそもヒグマが人里に降りてくるのは山との境界線にある人の作った畑の作物を狙っての事なので、楽に美味しい作物を食べられると知ったヒグマはもう山には帰れないのです。山に帰しても必ず人里に戻ってきて、そして人を恐れないので逃げず、いつかは事故になるのです。

 山と畑の間に無機物な街が挟まれば、人間を恐れている内に畑にはたどり着かず山に帰っていくヒグマがいるかも知れません。その可能性は否定しないんですが、畑は必ず山と街の境界線にあり、畑に来るという事は街に出るという事とイコールなんです。そして街に出るという事は人に慣れるという事で、人と出会っても逃げなくなり、そして不幸な事故に繋がるのです。

 これはもう避けられないんですよね、山にヒグマが住み人が里に住むのであれば、山と里との境界線が必要で、どこまでが人間の縄張りでどこからがヒグマの縄張りかは明確にして、人もヒグマも侵さないようにする必要があるんです。
 そして、里という縄張りを作った以上そこはヒグマには譲れず、里に入ってきたヒグマは縄張りから排除するしかありません。しかし、眠らせて逃がすのでは駄目です。必ず戻ってくるので。ヒグマには人間の縄張りが見えないので、人間が引いた縄張りを人間が執行しヒグマを断ずるしか棲み分けはできないんです。

 じゃあ捕まえて動物園に送れば、という意見もあるかも知れませんが、里に出てくるヒグマ全部を捕まえて動物園に送るのは無理です。北海道にはヒグマが多すぎるんです。
 そして、「麻酔銃で眠らせる」のには猟銃免許を持っていて獣医師資格を持っているレア人材でないとできない事なので、ヒグマの数とバランスしないんです。猟銃資格を持つ獣医師とヒグマではヒグマが多すぎる。というか現実的ではないですよね、出てくるヒグマにジャストで猟銃免許持ち獣医師が出会える可能性なんて何%だと思います?出会うまでに何人死ぬと思ってるんですか。

 そもそもこれは野生の獣と人間の縄張りの問題であって、縄張りを犯したら殺すしかないんですよ。野犬だって凶暴だったら殺さざるを得ない。ヒグマだったら凶暴じゃなくても事故る可能性を考えたら殺すしかないんですよ。

 多分これはリアルにヒグマに出会って死ぬかも、という実感のない人にはわからない事だと思うんですよね。本州の人にとってヒグマに殺されるというのは隕石にあたって死ぬくらいの感覚だと思うんです。
 しかし北海道は違う。歩いて10分の山に鹿もヒグマもいるんです。鹿に出会う気楽さでヒグマに出会う。そして1%の確率で襲われたら助からない。
 北海道でのヒグマの恐怖は交通事故に近いものがあると思うんですよね。

 交通事故を防げるなら防ぐでしょう?

 なら、ヒグマは駆除せざるを得ないんですよ。


1日1冊本を読んでるんです。漫画ばっかですけどね。

 タイトルが全てですが、平均して1日に1冊本を読んでるんです。Kindle Unlimitedをメインに使っている都合上漫画本が多いんですが、毎日ではないんですが平均して1日1冊読めるように読む量を調整しています。もちろん1冊を超える分にはいいので読む時はガッツリ読むんですけども。

 昔収入の殆どが本とパソコンで消えた自分としては、Kindle Unlimitedで「好きなだけ本を読んで定額」というのが素晴らしいなと思っていて、定額範囲内なので興味のない本も読むんですよ。普段なら絶対に金を出して読まない本を読んで「まあ読まなくて良かったかな」という結論になるんですが、極稀に良い記事にあたって「読んで良かった」と思う事があるので、それだけでも読む意味ありますよね。

 音楽メディアと違って文章/漫画メディアは最初の1回が重要だと思うので、買って繰り返し読むものでなければKindle Unlimitedで良い訳で、逆にKindle Unlimitedで良かった本は買えば良いわけですし、サービスとしては利用者に都合がいいですよね。

 これが作者出版社に都合がいいのかはわからないんですが、ひどく不利な扱いを受けていないといいな、と思います。あまりにひどい扱いをしているようならボイコットも考えないといけないんでしょうが。今は利便性に流されている感じですね。もっと本を読みたい。

 1日1冊の本を読めるのって貴族階級の特権だと思うので、それが月額1000円でできるならお安いものですよね。


雑記なんだから何書いたっていいんだよ;固定観念をぶち壊しておく

 なんとなーく、なんとなーくなんですが、このブログ「雑記ブログ」とタイトルしておいて雑記じゃないと言うか思想的に偏りがあるのです。っていうかぶっちゃけ思想系のブログになってますよね?それって望んでそうしているんじゃなくて、1件目のポストが思想よりだったので2件目のポストもそうなって……という感じでなんとなーく思想系に片足突っ込んだブログになっているのです。

 そうじゃない。
 そうじゃないんだ。

 もっと書きたい時に書きたい内容を書き殴るブログでいたい訳なんですよ。テーマブログはもう飽きるほど書いているのでテーマブログにはしたくないんです。
 じゃあ日記でいいじゃんって話なんですけど、日記はテーマブログ(今日の事)なので不要ですしちゃんとした(?)日記は毎日書いているのでわざわざ別ブログに切り出す必要はないんです。
 書きたいと思った時に、書きたいと思った内容を、できればわりと長文で(そこまでこだわりはしないですけどね)書いて行きたい訳です。

 子供の頃の文章ってワリとフリーダムというか、その一瞬に意識した事にフォーカスするので文章があっちこっちに飛んでいくと思うんですけど、そういう感じで「今書きたい」事にフォーカスしたいんですよね。例えば今日はエロい話をしたい、と思った時にそれを投げられるブログにしたいし、例えば今日は政治の話をしたい(政治と野球と宗教は普通タブー)と思った時に政治の話を、宗教の話をできるブログにしたい。

 という訳で所信表明というか、良くない固定観念が自分の中で生まれつつあるなと思ったのでぶち壊しておこうと思います。

 雑記ってついテーマごとに書き始めちゃってテーマブログを立ち上げる羽目になるので本当に難しいですよね……。


「買える」失敗は買わせておけ

 子育てにおける意地悪と言うか、子供に経験して欲しいのであえて助けていない部分なんかを。

 買い物、基本的にウチは子供の買い物に口出ししないんですよ。結構高いものでもお金があるなら買わせる感じなんですよね。
 で、今回長男がパソコンでフォートナイトをするのにWASDでは操作しづらいのでゲームパッドが欲しいと思いあたり、家にあるスイッチのプロコンを試したんですがうまく動かないのでPS4のコントローラーを買うと言い出したんですよね。
 まあ好きにすればと思って放っておいたんですが、PS4の純正コントローラーではなくHORIのコントローラーを買ってきていろいろ試した結果駄目だという結論になり投げ出した感じなんです。

 私は後追いで調べてみて、プロコンPS4はDirectInput・XboxのコントローラーはXinputで後者が一般的という部分を調べられたので、とりあえずXboxのコントローラーを一つ注文し、手元に届いたので長男に「勉強になった?」と尋ねてコントローラーを渡した訳です。

 こんなの最初に私が調べれば何の問題もなかったんですが、本人にトライ・アンド・エラーしてもらうのが大事だと思っていて、お金の面でも失敗する経験は必要だと思うんですよ。もちろん失敗するとわかっていて放置した訳ではないんですが、私がでしゃばればより確実に事を成せたのは間違いないんですがそれをしなかったんですよね。

 成長の中で「失敗」するという経験は積極的に積んだほうが良いと思っていて、学校や社会では失敗は許されない環境があると思うんですが、それでも人間失敗するので、「どうやって人は失敗するのか」「失敗した時にどうフォローすればいいのか」という事は家庭内で知っておく必要があると思うんです。
 もちろんその前の社会段階で失敗を知っていて対処もできるのであれば問題はないんでしょうが、失敗の経験は多ければ多いほど使える経験になっていくのでできるだけ自分の保護下にある段階で失敗を積んで欲しいな、と思うのです。

 というのも、私が失敗を許されなかった・ギリギリまで失敗しないで誤魔化してこれたタイプだからなんですけど、小さい頃からお利口さんだった私は大学でハメを外して中退するまでは大きな失敗なかったんですよね。でも大学中退って凄いインシデントじゃないですか。人生に響くインシデントをやらかしたので反省も大きく、「もっと失敗を知っておくべきだったな」と思うのです。
 しかもその後大学中退を期に「真面目に生きよう」と決めて真面目に生きてきたんですが今度は真面目過ぎてブラック会社で過労死ラインを大きく上回る残業を繰り返し心が壊れてドロップアウトという結果になり、今度は「真面目すぎもいかん。これも失敗だ」という結論になりまして。
 本当に、失敗の仕方をちゃんと知っていればもっとマシな形で進めたはずなのに、真面目に失敗をしてこなかったがゆえに限界ギリギリの大失敗をやらかす結果となっているので、子供にはそういう思いして欲しくないんですよね。

 もちろん子供の頃に失敗しすぎていじめられた犬のようなメンタルになってもらっても困るのでそうならないように注意しながらですが、失敗を繰り返して失敗をカバーする方法を知りつつ、成功体験も積みながら「楽しい人生」を設計できるようになって欲しいな、と思っているわけです。

 で、今回の失敗料は長男のPS4コントローラー4500円、私が買ったXboxのコントローラー6500円で併せて11000円の失敗なわけですが、それに見合う経験をしてくれたかな?と思うのです。「次は検索対象を広げよう」だとか、「他の人に一緒に調べて貰おう」という感じで学んでくれればいいなー、と思います。